大好きな大好きなばあちゃんが2/22に亡くなりました。
一昨年の年末、島で脳梗塞になって、昨年頭からばあちゃんの娘たちのいる神戸で過ごしていました。
1度は昨年末に容態が悪化してもうダメだろうと言われたんですが、
そこから2ヶ月も頑張って
先々週遂に血管に点滴が入らなくなったと言われ飛んで帰ったんだけど、
そこから小康状態が続き、私は東京で徳之島のイベントがあったので一旦泣く泣く戻って様子を見てました。
普通の人でも水も栄養も取れない状態なら2、3日しかもたないそうなんですが、
ばあちゃんはその状態で12日間も頑張りました。
最後は血圧も測れないような状態になっても頑張って、お医者さんも信じられないとビックリするほどだったそうです。
そして、2/22夕方、ばあちゃんの娘たちに見守られながら天国へ旅立ちました。
88歳でした。
お通夜と告別式は家族だけで行い、なんと初めてばあちゃんの娘、孫、ひ孫全員が揃うことができて、
皆んなで見送ることができて、心からよかったと思います。
自分のことは後回しで人にばっかり色々して、とっても優しくかわいいばあちゃんでした。
島に帰ると、まどかが来ると近所の人に言ってはあたしが好きなもを用意して、
出演するお祭りを見に来る時はとにかくおめかしして、
何時間も前からあたしよりも緊張しながら座っているばあちゃんを思い出します。
せっかく帰って来てるのにライブやら打ち合わせやら飲みのお誘いでいつもいないあたしに、
あんたはいつもいない…と言われた事があって、ずっと申し訳なく思ってて、
お通夜の後、旦那さんと斎場に泊まってばあちゃんの横でずっと話をしてました。
ずっと会いたかったじいちゃんにはもう会えたの?とか、
そう言えばばあちゃんと飲んだことないけど、お酒飲めるの?とか。
返事はないけどね。
ばあちゃんと最後に話したのは、年末に南アフリカに行く前、
「ばあちゃんがいなくても、あんたしっかりやるのよ」って言葉が最後でした。
そんなもう会えなくなるみたいなこと言わないでーって思って、
帰ってきたら会いに行くから待っててねってしか言えなかったのが心残り(帰ってきた時にはもう意識もほとんどなく、話す事ができなくなっていました。)ですが、
先週会いに行った時、ばあちゃんの耳元で何度も歌を歌って、心配いらないからね、安心してねって言ったの届いてたらいいな。
あたしが東京に戻ってからも亡くなる直前まで母や叔母があたしの歌う動画を流して聞かせてくれていたそうです。
届いてたらいいな。
ばあちゃんが生前お世話になった皆さんにはとても感謝しております。
本当にありがとうございました。何のお知らせもせず、家族だけの葬儀となったことをお許しください。
落ち着いたら、ばあちゃんは島で母間のお墓に入る予定です。
大好きなじいちゃんの隣に。
ライブを中止して、ばあちゃんをちゃんと見送ってきてと言ってくれた池尻大橋piuの折井さんにも、
中止するべきかどうか悩んでたあたしにアドバイスをくれた友達にも感謝です。
本当にありがとうございました。
あぁ。もうばあちゃんのアンバソーメンが食べられないんだなぁ。
朝の6時前に起きて仏壇に話しかけてる声を聞くことも、
道の向こうにいるばあちゃん友達に、おーいって言って手を振り合うあの姿も
テニスの錦織くんをにっこり勝った!って言って応援する姿も見れないんだなぁ。
ただいまーって帰る場所がもうないんだなぁ。
故郷をなくした気分だよ。
悲しいよ。
ばあちゃんがいなくてもちゃんと頑張る。
心配しないで、天国でじいちゃんと仲良く見守っててください。
ありがとうね。
